育児戦争真っただ中。

長期単身赴任してる主人の妻で発達障がいの娘の母。普通といえば普通だし、異常といえば異常な毎日を過ごす妻であり母のあたしが綴るブログ

娘の発達障がいが分かるまで~4

あたしがした決断。

 

娘を保育所に預ける事でした。

 

集団生活をしていたら、何か変わるんじゃないか。

変わればきっと娘への疑惑がなくなる。

みんなとちゃんと過ごせたら安心する。

そんな訳の分からない期待をしました。

 

ちょうどこの時期、

中古ですが家を購入し、主人も単身赴任を決めていた時期。

家で娘と2人で過ごさないといけない事になり

あたしに万が一の事があったら・・・

そう思うと、仕事をしてでも娘の預け先が欲しかったのです。

実母は遠方で体調が悪く、義両親は現役で働いていることもあり

あまり頼れなかったんです・・・

 

公立・私立の保育園はこんな地方でも空きがないのは

分かっていました。

なので、あたしが選ぶのは一択。

保育所がある職場

これだけでした。

運よく、近場で介護をやってる法人で保育所があるところがありました。

面接をクリアし、保育所も確保。

あたしはパートで半日働きに。

その間、娘は保育所に。

そんな生活を娘が11か月の時にスタートしたのです。

 

初めはなんでもスムーズに行かない。

そんなことは十二分に分かっていました。

が、保育所に通いだした娘は

「こんなことある?!」

の連続でした。

泣きながら先生と教室に入り、1日中泣きながら過ごし

お迎えに行くとまだ泣いてる・・・

連絡帳にも

「ずっと泣いてました」

の文字が何日も続く。

そんなこんなで初めて風邪をひきました。

数日お休みをして、再び通い始めるとまた風邪・・・

今度の風邪はなんか違う。

大きい病院に行くと

RSウィルス、肺炎、中耳炎

と言われ、即入院。

仕事を始めて半月で2週間も休みを取ってしまいました。

退院してまた保育所に通うようになり、

とりあえずは送りと迎えの時だけ泣いて

後はそれなりに楽しそうに過ごしていた様子。

「あーやっと落ち着いたか」

そう思ったのも束の間、また発熱。

マイコプラズマに両耳中耳炎の鼓膜切開

でまた2週間の入院・・・

親子でくたくたに。

「仕事もう無理」

と思ってましたが、上司が本当に理解ある方で

かなり助けられました。

また退院後、通常の生活へ。

元気に過ごしていたのにまた発熱。

今までとは明らか何かが違う。

今度は川崎病

これまた2週間の入院・・・

ここまで3か月の間に起こった出来事です。

娘は3か月の間に3回も病気して入院したのでした。

 

入院中、やはり娘は他の子どもと違うと感じていました。

大きい声を出したり、じっとできなくて

点滴の管を触りまくり

何度も点滴の針を入れなおしたり

点滴の機械を止めていました。

また、人に触れられる事を極端に嫌がり

医師の回診や看護師さんが来るたびに泣いてました。

 

子どもだからこんなもの?

発達障がいがあるから?

 

色々な事を考えながらの入院生活を母子で送りました。

 

川崎病での退院後、保育所では発表会が待っていました。

この発表会であたしたち夫婦は現実を受け入れる

心の準備が出来たのです。

 

 

 

 

 

娘の発達障がいが分かるまで~3

突然の卒乳をした娘。

次なる試練

「離乳食」

に挑戦することに。

とりあえず、アレルギー検査だけは先にやっときました。

この時点ではアレルギーなしとの事だったので

「なんでも食わせれる」

ってことです。

日本人らしくお米(おかゆ)からスタートした娘。

母乳事件で娘が拒否することに恐怖だったあたしは

 

「離乳食拒否されたらどーしよ・・・

 これから幼児食にもなっていくのに・・・

 食事拒否とか・・・」

 

なんて事を思いながら、主人に手伝ってもらい

初離乳食!

めっちゃ食べました・・・

引くほど食べました。

あたしの頭の中で大西ライオン

「心配ないさーー!!」

ゆーてましたwww

食べることが好きなようで

本当になんでも食べてくれました。

1歳ちょっと前には幼児食にスムーズに行けた程です。

よく食べるので、ミルクの量を減らして

麦茶にしたんですが、特に混乱なかったです。

「ミルクよりうまいものをくれ!!」

といった感じ。

だから、離乳食の頃は作るのは大変でしたが

食べてくれるので苦痛に感じたことはなかったです。

 

そんな娘が8か月になり、ぼちぼちつかまり立ちを始めました。

この時にあたしは

「やっぱりそうだろ、これ」

と思う事がありました。

つかまり立ちする娘は常に

つま先立ち

だったのです。

どんなに足の裏を付けるように誘導しても

娘はつま先立ち。

これは歩き始めてからも変わりませんでした。

つま先立ちをする娘を見ていて

発達障がい(自閉症)の特徴のひとつ。

「感覚過敏」

を疑った瞬間でした。

発達障がいかもしれない・・・

もう一人で抱え込めなくなったあたしは

主人に打ち明けることにしました。

「悲しむかな?怒るかな?」

そう思いながら、今までの出来事で気になった事を順に伝えました。

 

母乳やミルクを大量に飲む→満腹が分からなかった?

ニップルの嫌がり→強いこだわりがあったから?

異常な位寝ていたこと→起きている間、感覚が常に敏感に働き疲れていたから?

つま先立ち→感覚過敏で足を地に付けたくないから?

よって、あたしは娘が発達障がいがあるかもしれないと思ってると。

 

ずっと黙って聞いていた主人。

開口一番の一言は

「そっか・・・仕方ないよなー」

でした。

「せっかく産まれてきてくれたんだから

 自分たちが出来る事を精一杯してあげようや」

怒るわけでもなく、悲しむわけでもない主人。

最後には

「気が付いてくれてありがとう。

 お前だから気が付いたんだよ。」

と言ってくれました。

嬉しかったです。

あたしだから気が付いた・・・

仕事している時、一時は福祉の仕事が嫌いになったこともありました。

もう一切関わりたくないと思った事も。

それでも前を向いて頑張ってきた経験から

娘の異変に気が付いて・・・

 

でも、娘の異変に気が付いたものの

「認める」

にはとても時間がかかりました。

何と言ったらいいのか・・・

上手く言えないんですが、

 

頭では理解している。

でも心がそれを許さない。

 

といった感じです。

1歳を迎える前には発達障がいの特徴が目に見えて出てきたのに

どこかで「違う」と思ってしまう。

これが「親心」なのかな。

いろいろ主人と葛藤しました。

 

そして、あたしはある決断をしたのです。

この決断は未だに後悔してます。

こんな決断しなけりゃよかったと。

娘が苦しんだだけじゃないのかと。

 

 

 

娘の発達障がいが分かるまで~2

比較的楽な入院生活を終え、

娘と向かったのは

主人の実家。

里帰りはせず、

主人の実家で産後しばらく過ごす事にしました。

「あー今日から忙しい毎日だわ」

なんて覚悟を決めていたにも関わらず

ヒマでした・・・w

本当によく寝てよく飲んでました。

授乳時だけ大変で、初めての授乳時からだったんですが

直接おっぱいに口を付けるのを極度に嫌がって

助産師さんと大格闘した末

ニップルシールドを付けると飲んでくれました。

助産師さんや医師にも

「お母さんのおっぱいに飲みにくい原因はないのにねぇ」

と言われ、

「母の乳首がそんなにイヤかよ・・・」

と、軽くへこみましたw

入院中は病院でニップルシールドは貸してくれてたんですが

退院後は自分で用意してくれと。

んで某子ども用品店で適当なものを買っていざ授乳。

すると娘は嫌がる嫌がる。

尋常じゃない泣き方。

なんでー*1

結局、授乳は無理となり

一応と用意してた粉ミルクでその場をしのぎました。

哺乳瓶(ベッタ)

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は受け付けてくれました。

でも、後々このベッタじゃないとダメになったのは

痛かったなぁ・・・w

てか、ケチって安いペラペラのニップルじゃダメだったのか!

産後なのに急いで病院で使ってたのと同じ

メデラのニップル

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を買いに行ったのでした・・・

このニップルでは通常通り飲んでくれたので助かったんですが

管理が大変だし、付けるのが面倒で・・・w

子どもにとって哺乳瓶の乳首やニップルの合う合わないは

よく聞く話だけど、あたしはもう

「こだわり」

ととらえていました。

そんな生活が続き、

娘が5か月になりそろそろ離乳食!

の頃いきなり起きた事件。

おっぱい拒否!

ある朝、いつものように授乳準備して

さぁおっぱいの時間だよー

となった瞬間、大泣きして大暴れ。

母の乳を手足を使い暴行する娘w

主人も一緒になってなんとか飲ませようと必死。

だけど飲まず。

結局、主人が作ってきたミルクを満足そうに娘は飲みました。

それからというもの、娘は母乳は一切飲まず。

ミルクに移行したのでした。

あたしの身体に異変か?!

そう思い、病院にも行ったのですが

いたって健康体・・・w

この頃、娘は1回の授乳であまりにも母乳を飲みすぎるもんだから

おっぱいだけでは足りず、ミルクを50~100ml追乳してました。

それでミルクの味を覚えたのか、

自分か吸いすぎて出ないおっぱいに魅力を感じなくなったのか、

詳細は分からないままですが、

「おっぱい離れは突然に」

その瞬間を迎えたのでした。

 

 

 

 

 

*1:+_+

娘の発達障がいが分かるまで~1

まず、あたしには

知的障がい者の入所施設で働いていた事。

学校生活介助員(幼稚園・小学校)をやっていた事。

この経験があったから、

娘の異変に気が付くのは早い方でした。

 

娘は2013年10月に帝王切開にて産まれました。

分娩異常等はなく、元気に産まれてきました。

「あーよかった(^^)」

も束の間・・・

新生児のクセに

よく寝る!

よく飲む!(母乳)

おおきい病院で、

母子分離だったので授乳の時間は決まってました。

「〇〇時、〇〇時、〇〇時・・・に授乳に来てくださいね」

と病院から言われてたんですが、娘の場合は

「泣いたら個別で呼びます!」

と言われる始末・・・www

例えば、朝9時に授乳するじゃないですか。

んで寝かせて・・・

次の授乳が夕方4時、5時とかにになるんですよ。

お昼すっ飛ばして夕方。

ずーっと寝てました。

んで、これだけ時間が空いてるものだから

気が狂った?!

って位に母乳を飲むんです。

1回に300ml近く・・・('Д')

新生児ですよ。

新生児!!w

「お母さん、量測り間違ってない?!」

助産師さんに軽く怒られたこともあったけど

こんな簡単な計算間違うアホおるもんか・・・w

帝王切開だったので14日入院してたのですが、

14日間のうち10日間はずっとこんな感じ。

まぁ、楽と言えば楽でした。

みんながいそいそと授乳してる中

あたしは寝てるかお見舞いに来てくれた人と

細かい授乳時間を気にせず話せてゆっくりしてましたからw

ただ、いつ呼ばれるか分からない不安はあって

普通は授乳時間決まってるからその合間にシャワー予約を

いれるんですが、あたしはそんなの関係ないから

皆々様の授乳時間等を勝手に考慮して(w)

シャワー予約入れてたら

そのシャワー中にタイミングよく呼ばれるといった

こともありましたw

 

よく寝てよく飲む。

絵に描いたような娘。

でも、明らかに周りの赤ちゃんとは違う。

絶対に違う。

あたしはこの時からほんの少しだけ

「もしそうだった時」

の覚悟を一人で決めていたのでした。

 

 

 

 

 

ブログはじめてみました!

はじめまして!

ブログ管理人のshihoと申します。

単身赴任中の主人の妻で

3歳の娘(発達障がい児)の母

をやってます!(^^)!

 

主人が単身赴任中ってこともあり

普段は母1人、子1人で生活してます。

これがもう思っていた以上に大変です( ゚Д゚)

それでももうこの生活を2年やってます・・・w

あと1年はこの生活を送る予定です・・・

 

そんな大変な生活を送っている中でのブログ開設。

単身赴任中のご主人様がいらっしゃる方

発達障がいのお子さんを育てている方

そんな方々と色々お知り合いになられたらと思い開設しました。

直接誰かに話す事が出来ない内容の事でも、

ネット上だったら話せる事ってないですか?

あたしはいっぱいありますw

そんな事をあたしのこのブログにてお話ししてみたいと

思っています。

特に、発達障がいについてはデリケートな事。

周囲に理解してもらえない事だって、同じ発達障がいのお子さんを

育てられる方に取れば十二分に理解してもらえるハズです。

 

コメント欄を使用してもらって大丈夫なので、

みんなでたくさん話ができる場所にして下さい。

もし、質問等ありましたらブログでにはなると思いますが

個別で返信もしていきたいと思います。

 

あと、月1ペース位で娘の発達障がいが分かるまでの様子等を

公開したいと思います。